競馬マニアック博物館

競馬中心の内容です。サラブレッドカード、トレーディングカード、マニアが喜ぶネタや珍品も紹介してます。

ターニングポイント

今日は2月26日です
穏やかな暖かい日でした
だがしかし!
今から半世紀前
しんしんと雪の振る東京銀座で
空前のクーデターが起こったのです!

この事件が日本のターニングポイントだったと私は思います
大雑把ですが子供達にも、わかるようにまとめました

軍事国家であった日本に2つの派閥がありました
第一次大戦後の激変する世界情勢の下
陸軍は国力を高めるために軍と国家の近代化を図ろうと考えていたのです
 
軍部の統制を強化することで国力の増強を図る「統制派」
天皇親政に戻すことで国力を回復させようと図る「皇道派
 
そして、陸軍内部の2つの派閥抗争の行く末が226事件なのです

1935(昭和10)年8月、皇道派であった真崎甚三郎教育総監が更迭されたことで、
皇道派は陸軍の主要ポストから締め出されました
このことで相沢三郎中佐(皇道派)が永田鉄山軍務局長(統制派)を日本刀で惨殺する事件が起き
「永田が皇道派弾圧の中心である」と相沢が信じたために起こった事件なのです

この事件は青年将校の心を大きく動かし
1936(昭和11)年2月26日未明
東京駐屯の歩兵第1、第3連隊を主軸とする陸軍の青年将校らが
尊皇と討奸(とうかん=天皇の側近である重臣・統制派軍人・財閥・官僚などを討伐すること)を掲げクーデターを起こしました
 
彼らは首相官邸などを襲撃し、斎藤実内相や高橋是清蔵相などを殺害
また反乱軍は永田町一帯を封鎖し、警視庁・陸軍省参謀本部陸相官邸などを占拠した

これを受け27日早朝、九段軍人会館(現在の九段会館)に戒厳司令部を設置
政府は都心に戒厳令を発表した
 
一方で陸軍は反乱軍に対し投降を促すビラをまいたりラジオ放送を流すなど相打ちを避けるように努め
その結果反乱軍の投降が相次ぎ29日にクーデターは鎮圧
皇道派は完全に敗北し、
後に、首謀者となった青年将校は、軍法会議で銃殺刑に処せられる
この事件以降、統制派を中心とした軍部の政治に対する発言力が増し
やがて満州事変へと進んでいくことになる
※参考文献:決定版昭和史7(毎日新聞社刊)
 
大雑把すぎる説明で申し訳ないのですが
簡単に言えば、それぞれの思想が、ぶつかってしまったと・・・
真実が見えにくい、核心にせまれない、そういう事件です
モヤモヤした事件
 
226事件に関する資料は莫大な数ありますので興味のある方は、調べてみてはいかがでしょうか
きっと、モヤモヤした気持ちになりますから・・・