皐月賞、ダービーの2冠馬サニーブライアンが死す
97年の皐月賞、日本ダービーを制したサニーブライアン(17)が3日、死亡したことが明らかとなった。07年に種牡馬を引退し、北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジ・アエルで繋養され、余生を送っていた。死因は疝痛のため、とのこと。
サニーブライアンは父ブライアンズタイム、母サニースイフト(その父スイフトスワロー)という血統。96年10月にデビュー戦を飾ると、ジュニアCを制し、弥生賞でも3着。皐月賞に駒を進めた。しかし強豪揃いのGI・皐月賞では11番人気の低評価。それでも先手を奪って逃げ切りを果たし、皐月賞馬に登りつめた。
迎えた日本ダービー。皐月賞馬ながら1冠目がフロック視されたのか、ここでも評価は6番人気。しかし、鞍上・大西騎手の「1番人気は要らない、1着がほしい」という名言のとおり、最高峰の大舞台でも見事に逃げ切ってみせた。2冠馬誕生の瞬間だ。
その後、ダービーのレース中に骨折していたことが判明し、菊花賞は棒に振ってしまう。3冠馬への道は断たれたてしまったが、復帰を目指していたところ、今度は屈けん炎を発症。引退を余儀なくされ、種牡馬入りとなった。
なおフジテレビ・三宅アナウンサーのダービー時の実況「これはもう、フロックでも何でもない!」は、ファン・関係者の間で名実況として未だに語り草となっている。JRAでの通算成績は10戦4勝(うち重賞2勝)。
サニーブライアンは父ブライアンズタイム、母サニースイフト(その父スイフトスワロー)という血統。96年10月にデビュー戦を飾ると、ジュニアCを制し、弥生賞でも3着。皐月賞に駒を進めた。しかし強豪揃いのGI・皐月賞では11番人気の低評価。それでも先手を奪って逃げ切りを果たし、皐月賞馬に登りつめた。
迎えた日本ダービー。皐月賞馬ながら1冠目がフロック視されたのか、ここでも評価は6番人気。しかし、鞍上・大西騎手の「1番人気は要らない、1着がほしい」という名言のとおり、最高峰の大舞台でも見事に逃げ切ってみせた。2冠馬誕生の瞬間だ。
その後、ダービーのレース中に骨折していたことが判明し、菊花賞は棒に振ってしまう。3冠馬への道は断たれたてしまったが、復帰を目指していたところ、今度は屈けん炎を発症。引退を余儀なくされ、種牡馬入りとなった。
なおフジテレビ・三宅アナウンサーのダービー時の実況「これはもう、フロックでも何でもない!」は、ファン・関係者の間で名実況として未だに語り草となっている。JRAでの通算成績は10戦4勝(うち重賞2勝)。
サニーブライアンが亡くなってしまった
皐月賞もダービーも人気薄だった
実力があったと思うのだが予想紙は無印に近く
地味な戦績や乗り役も地味な大西だったからかもしれない
皐月賞、ダービー共にゴール後、スタンドが静まり帰ったのを覚えている
さらば、サニーブライアン