地味ながら着実に力をつけ、地方から中央、そしてアメリカへ
昭和59年7月に川崎競馬場でデビュー
3歳の2月までで15戦3勝
その後、中央競馬へ移籍する
明け4歳の秋に本格化
天皇賞を制する
当時、天皇賞を勝った馬は翌年の天皇賞へ出走できないというルールがあり
出走するレースが宝塚記念と有馬記念のみになってしまうことから
海外へ挑戦することになったのだ
舞台はアメリカ ローレル競馬場
第11回ワシントンDCインターナショナル
結果は13頭立ての10着
惨敗である
このタカマガハラのワシントンDCインターナショナル出走を契機に
昭和40年代~50年代の半ばにかけ、多くの日本馬がこのレースへ挑戦することになる
海外成績1勝0敗