競馬マニアック博物館

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JRA 競馬 名トレーナー 松田博厩舎初のG1勝ちは88年オークス 熊沢騎手騎乗コスモドリーム

umajin

 

09年はブエナビスタオークスを制した松田博師。このときと同様、安藤勝騎手とのコンビで今年のオークスマルセリーナを送り出す

 1988年。第49回オークス優駿牝馬)は、アラホウトクシヨノロマンの庄野穂積厩舎2頭が主役として東京競馬場に迎えられていた。桜花賞で1、2着し返す刀で2頭はオークストライアル・サンスポ賞4歳牝馬特別(現・フローラS)に出走。1人気に押されたスイートローザンヌを打ち負かしてまたも1、2着。平坦阪神1600から東京2000に変わっても、能力の違いを見せつけたのだ。アラホウトクの父はトウショウボーイシヨノロマンも祖父がアローエクスプエス(父リードワンダー)と東京2400のダービーで距離に泣いた血統でもある。距離の壁がいつくるのか、あるいはこないのかという部分がファンのみならず話題を集めていた。

 

 シトシトと雨が降り始め、良馬場発表とはいえ東京競馬場の芝は着実に水を貯え始めていく。22頭が集ったこの年のオークスは、雨の中でスタートが切られた。

 

 逃げ馬のスルーオベスト、リキアイノーザンが先手を主張し、増沢末夫騎手騎乗の桜花賞3着フリートーク(6人気)が注文通りに3番手へすんなりと入る。その後ろへ3人気スイートローザンヌがポジションを取ろうとした時、故障を発生。この脱落による後方の動揺を見逃さず、先行勢は向正面に入るやいなや計ったようにペースダウンを仕掛けていく。

 

12.9-12.6-12.5-12.8-12.9

 

 最初の4Fこそ47秒台だったが、その後の5Fは63秒台後半と先行勢はまんまとスローペースへ持ち込んでいくことに成功する。

 

「これはまずい」とばかりに中団でお互いが見える位置にいたアラホウトク河内洋シヨノロマン武豊がポジションを押し上げ初め、欅を過ぎると5番手付近まで取りついていく。この2頭の後ろにいたのが10人気のコスモドリーム熊沢重文騎手。スタートで気持ち後手を踏んだ同馬だったが、するするとポジションをあげてきたのであった。

 新鋭の松田博資厩舎に所属し、稽古の動きが抜群によかったコスモドリームはダート1200戦を1人気でデビュー。敗れはしたもののダート1800へと距離を伸ばした2戦目には2着馬を1秒7突き放して人気に応えている。この結果からも「距離があっていい馬」という陣営の感触は明快なものとなった。桜花賞出走をかけたチューリップ賞こそ落馬で競馬にならなかったが、岡潤一郎騎手に頼んで牡馬相手の2000mで2着。続く2200m戦をものにしてこのオークスへと駒を進めてくる。岡騎手は平地GI競走での騎乗条件規定である「通算31勝」を満たしておらず、この日はデビューから4戦続けて騎乗した熊沢騎手に手綱が戻っていた。

 

「ちょっとでも気分を損ねると走らないところのある馬だから、テン乗りは避けたい」と新人岡騎手からさほどキャリアの変わらない若手熊沢騎手へスイッチした理由を調教師は語っていた。騎手時代に“障害の松田”とまで呼ばれた師らしい、選択といえるだろうか。勝てないまでもそれなりにやれるだろうという期待感もあり「調教通り、終いの1ハロンで勝負しろ」と熊沢騎手を送り出している。

 熊沢騎手自身もこの日が東京競馬場で初めての騎乗。新幹線で東京駅に降りた時、そこから東京競馬場にどういけばよいのか。そもそも東京競馬場がどこにあるのかもわからなような状況ですらあった。ただ、心臓に毛が生えているといわれる緊張知らずのメンタルは「クラシックを楽しんで来よう」と平常心の競馬を貫かせていたのである。

 

 コースを2周我慢させて、ラスト1Fをしっかり伸ばす。

 

 これは昔ながらの調教の基本である。時計にとらわれず、きちんと負荷をかけ、きちんと競馬を教えていく。この基礎を高いレベルで徹底させることが松田博厩舎の根底にあり、日常の運動ひとつとってもそのクオリティを上昇させていくことを怠らなかったことは当時から変わらない。

 そして、熊沢騎手は出遅れたからと言ってあわてず、馬の気分を損なわないよう、無理をさせないように細心かつ大胆に競馬を運んでいた。

 フリートークが先頭を伺いながら直線へ向くと、外からアラホウトク、インからシヨノロマンが仕掛けてくる。これをみて増沢騎手は後出しじゃんけんで2頭を突き放した。そのまま坂を上がりゴールを目指すが、バテて下がったアラホウトクの外からコスモドリームが台頭してきた。

 見せムチでリズムを取りながら、熊沢騎手は注文通りにラスト1Fでゴーサイン。同じ位置からくらいついていた桜花賞リーゼングロスの娘アインリーゼン(4人気)を振り切ると、一気に弾けて前を走るフリートークも交わし去ってゴール板を駆け抜けた。

 

 勝つとまでは思いきれていなかった馬主、調教師が表彰式に向かうエレベーターに迷うという小さなアクシデントもあったが、新鋭の調教師、デビュー3年目の若手騎手がブゼンダイオーという無名の種牡馬から生まれた産駒で天下のオークスを制した華々しい日となった。

 そしてこの勝利を皮切りに、松田博調教師が後に何度となくこのレースを戴冠することになることは、この時、誰も知るものはいなかったのである。

 

 

熊沢が乗っていたとは驚いた。

この時から穴ジョッキーだったんだな。

マツパク先生も当たり前で駆け出しの頃があったんだな。