ドバイワールドカップを制したヴィクトワールピサ
おめでとう!
今回紹介するのは、ヨーロッパ遠征のパイオニア的な存在となった
スピードシンボリだ
現役時代に2度、海を渡っている
現役当時の昭和40年度前後、海外競馬自体にまだほとんど目が向いておらず
遠征といえばアメリカのワシントンDCインターナショナルくらいだった。
このレースにスピードシンボリも出走した(67年)
そして2度目の遠征が、日本馬初のヨーロッパである。
しかも、現地滞在し3レースに出走をしている。
しかも、キングジョージと凱旋門、他にドーヴィル大賞典、
のちにディープインパクトが出走するようなレースの先駆者なのである。
4歳時のワシントンDCインターナショナル(5着)の一ヶ月後にある有馬記念では4着に負けてしまうが
翌年68年は国内のレースのみに出走、そして69年の夏から秋へかけてヨーロッパを遠征する。
キングジョージ5着、ドーヴィル大賞典10着、凱旋門賞10着
この時代のキングジョージ5着は大健闘である。
大沢親分が生きていれば「あっぱれぱれぱれ晴れだよ日本」と言っていただろう。
ワシントンDCインターナショナル 5着
キングジョージ5着
ドーヴィル大賞典10着
凱旋門賞10着
海外成績 4勝0敗
おめでとう!
今回紹介するのは、ヨーロッパ遠征のパイオニア的な存在となった
スピードシンボリだ
現役時代に2度、海を渡っている
現役当時の昭和40年度前後、海外競馬自体にまだほとんど目が向いておらず
遠征といえばアメリカのワシントンDCインターナショナルくらいだった。
このレースにスピードシンボリも出走した(67年)
そして2度目の遠征が、日本馬初のヨーロッパである。
しかも、現地滞在し3レースに出走をしている。
しかも、キングジョージと凱旋門、他にドーヴィル大賞典、
のちにディープインパクトが出走するようなレースの先駆者なのである。
4歳時のワシントンDCインターナショナル(5着)の一ヶ月後にある有馬記念では4着に負けてしまうが
翌年68年は国内のレースのみに出走、そして69年の夏から秋へかけてヨーロッパを遠征する。
キングジョージ5着、ドーヴィル大賞典10着、凱旋門賞10着
この時代のキングジョージ5着は大健闘である。
大沢親分が生きていれば「あっぱれぱれぱれ晴れだよ日本」と言っていただろう。
ワシントンDCインターナショナル 5着
キングジョージ5着
ドーヴィル大賞典10着
凱旋門賞10着
海外成績 4勝0敗